昭和五十七年三月二十日 朝の御理解
御理解第二節
先の世まで持っていかれ、子孫までも残るのは神徳じゃ。神徳は、信心すれば誰でも受けることが出来る。みてるということがない。
昨日は福岡の松岡さんの所のま、恒例の謝恩祭でございました。お祭りの後にお話を頂いた事でございましたけれども、あちらのお神様がお祭りしてあるお部屋に、私が書いてさしあげておる”徳積みて栄える家や菊の花”というのが色紙に書いてあるのが、こう掲げてございます。
徳積みて栄える家や菊の花 いわゆる菊の花というのは、ま、合楽のシンボルのようにいわれます。合楽の信心によって徳を積んで、いよいよ家が親の代よりも子の第というように、栄えていくおかげを受けよということでありますが、その徳を積むということがどういうことなのかというお話をま、いうなら具体的に頂きました。
本当にまあ、むつやの番頭さんをつとめておられた松岡さんが、福岡にお出でられる時には、まあいうならばま、裸一貫のような状態で、まあ親戚の方がおられる、そのま、引き立てやらもあって、ま小さいうどん屋を始められたのが初めでした。
そしてま、今日、家は小さいけれども四階建て、丁度当仁町のバスの停留所になり、それから今度の地下鉄の出口というような、最高のま、場所で日々繁昌のおかげを頂いておられます。
私があちらは参りました最初に挨拶に見えてから、あちらのお婆ちゃん、お婆ちゃんですよね、やっぱり。もう松岡さんが七十五でしょうか、お婆ちゃんが七十幾つでしょう。まあ私共年寄り二人がね、いわゆる忙しい、そのそういう食堂ですから、朝から晩まで立ち通しに立って御用を頂いておりますけれども、どこが痛い痒いもなくて健康でおかげを受けておるということは、もう本当に不思議なおかげですということが、私があちらは行って、一番のご挨拶でした。
本当に考えてみればそうですよね。一日中立ち通し、しかももう七十五という、やがて八十に近いというようなお爺さんとお婆さんが、勿論中心になって働いておるのは二番目の息子さん夫婦ですけれども、日々繁昌のおかげ頂いておる。
そこに信心の喜びは自ずとやっぱ感じるわけ。そこでまあ、私は松岡さんはま、一家が神恩報謝の心の厚い人であり、一家であるということはもう日々いうならば、売上げの何々というのは、お供え御造営費、御日初穂としてお供えをなさいます。これはもう長年続いてるんですね。
これは神恩に対するおかげに対する報謝の心がないから、なければ出来るこっっちゃありませんもんね。毎日ですから。
だからそういう神恩報謝の心があるけれども、それは頂いておる日々のおかげに対して御礼を云うておられるのである。これだけではお徳にならん。ね。 おかげ頂いて有り難いというところから、信心を頂いて有り難いということにならなければお徳にならないよという話しでした。
昨日の朝の御祈念の後に久富繁雄さんがお届けをされるのに、昨日一昨日が月次祭ですから、合楽泊まりで共励殿にいつも寝られます。いろいろと長い御夢でしたが、その中に、高橋定利さんがおっちゃまの腹を断ち割ってあなたの悪いところをみんな今日は出してやろう、というお知らせだった。
勿論高橋定利というのは、高橋さんの名前を借られただけで、まあ高橋ということは、高度なということでしょうね。定まった利、おかげを受けておるというのですから、まあいうならばこれは神様でもあろう、又私でもあろうとこう思うね。まあ久富さんの信心が三十年続いて、しかもそれが一家、それこそ親戚中で信心をなさるようになりね、ま繁雄おっちゃまといやあ、合楽でも本当にみんなが尊敬するような信心を頂いてこられて、今日のおかげを受けておられるね。まあ繁雄さんの信心は素直という素直心というのが、ま芯になっておるわけですけれども、それこそ、”素直心のひとつにて、雲の上まで登る道がある”というのは、その登って行く道が分からなければ、ただ、素直だけというのであったら、まああの人は馬鹿んごたる人と言われたっちゃしようがないでしょうが。
これは私と同じ事。私自身も自分でそう思うてました。もう私のごた、ふうたらぬくい男がおるだろうかと、こう思うた。嫌と言いきらんのです。ま、繁雄さんなんかも、そこによく似たようなものを感じておられると思いますけれども、それが三十年間貫いてきたということ。なら私の場合であっても、人からまあ無理を言われても、例えば金を貸してくれと言われれば、自分はなかでも、借りてでも貸してやらんならんといったような、そして後で自分で悔やみよるのですね。
私はこげな性分じゃ儲けさせきらんというふうに思うておるわけです。その風たらぬくさ、というか、馬鹿のような素直さというか、それが今度は神様の前に嫌と言いきらんということになってきた時に、今日の合楽のおかげがあると私は思うです。私がもし信心がなかったら、結局大坪さんちはもうふうたらぬくい人で終わったに違いないです。
良い言葉で云うや素直ですけれども、ならば、ああマンマンちゃんのごたる人と云うことは云うならば、あのもうそれこそ軽視した、私は表現だと思うです。久富さん当たりもやっぱそうじゃないかと思うですね。
それが事、信心で神様に進めていかれるところにね、いつの間にか、云うならここの久保山さんじゃないけれども、教えを行ずる、ということは、本当に素晴らしい。六年七年八年と段々信心が続けられていくうちに、ただ私は信心は成り行きを大切にさせて下さい、成り行きを尊ばせて下さいと、日々願ってそれに取り組んできておりますと、いつの間にか我情が取れて、我欲が取れてという風にまあ、云われてますように、素直心ひとつにて神様に向かう、親先生へ向かうと云う、との生き方がいつの間にか、なら今日の久富さんの信心をま、形成したということになる、作り上げた。しかもこれは限りがないのですね。
それで私、その、久富さんのその、ま素直な信心、松岡さんの神恩報謝の心が強いという心ふたつを並べながらま、お話を進めたことでございますけれどもね、成る程おかげを頂いておる。 もう振り返ってみるとあの時の事を思うたらと思うほどしに、いわば神恩の心はつのってくるのだろうとこう思うです。
松岡さんでも同じです。私共一応あのう、そもそも合楽に御神縁を頂いた時分のことから何十年であるなら、何十年のことをずうっと思ってごらんなさい。おかげ頂いたもんだなあ、自分の心だけの上の事だけじゃない、全ての点におかげを受けておる。改めて思う。
昨日は何十年振りに、それこそ思い出して御礼のお届けがありましたが、波多野さんでした。月次祭の日に、私は石田先生の奥さんの話をしたんですね、その石田先生の病院にあの波多野さんののり子さんというのが、看護婦に行っとった。 その時分はいわば、ま、生長の家なら生長の家をなさっておられて、ま、云うならばその教えが一つの人を裁いたりね、人の足元を見たり、教えでその人を裁くと云ったような例えばですよ、ような事があったのじゃないでしょうか。大変やはり難しい奥様やったと云うことですから、それがその波多野さんの話を聞いてまあ、人間がそげなふうにどうして変わられるじゃろかというて、のり子さんがたまがったという話を、私、月次祭の時にしましたですよね。
それからです、ま、波多野さん帰って色々まあ考えさせて頂いておって、ほんに石田病院にあの人が勤めておるときに、石田病院の看護婦さんやら先生方が皆でなんか、慰安旅行があったそうです。そん時にのり子さんも行くことになっておった。いつも行くときには、その運転手さんの横、助手席に乗っていったんですけど、その日に限ってどうか、気分が悪くていけなくなった。
だからそのかわりの人が行ったと云うのです。そしたら、それが事故に遭われて、その助手席に乗っ取った方がなくなられた。ということをですね、昔のり子さんから聞いておった話を波多野さんが思い出されてね、何十年前にもう本当に、まあ、親のささやかな信心でそういうおかげを受けておった事を思い出して、昨日何十年振りに改めて御礼のお届けがありましたよ。お互いにもそう云うことがあるんです。ね。
何十年間を振り返ってみると、おかげ頂いたもんだなあと、ね、、又おかげ頂いておるというなら、松岡さんじゃないけれども、七十幾つもなって、夫婦の者が朝から晩まで立ち通しの御用さして頂いて、疲れも見らずに、日々おかげを受けておるということだけでも有り難い。そのうえに商売が繁盛しておるということは、尚、有り難い。たくさんな子供やら、孫達が平穏無事でおかげを受けておるということも有り難い。
自ずとそこになら、神恩報謝の心は生まれてくるけれども、おかげを頂いて有り難いという心が生まれてきただけでは、徳にならんち、ね、それこそおかげが分かって有り難いじゃなくて、信心が分かって松岡さん、有り難いにならんと、徳積みてということにはならないよというて、昨日お話をしたことですね。繁雄さんの場合でも、私の場合でも同じ事ね、いつの間にか確かに一つの信心にこう取り組んでおると、神様が改まらして下さる。
いつの間にか我情が取れていきよる、我欲が取れていきよる。それこそ神様が腹立ち割るようにして、汚い物を取り出して下さるようなおかげも受けていけれる。で、それでよい、ということではない。ね。
そんならもっといよいよ豊かに大きなおかげを頂く為にね、ここ二、三日云われますように、私の周囲には問題がないとね。問題はあるけれども、問題を問題としないですむ生き方を身につけていく。とにかく信心は地を肥やせね。地を肥やしておけば、ひとりでに物が出来るようなおかげ、しかも小よりも大のおかげを頂きたいならば、いよいよ心が豊かに大きく育っていかなければならない。
それには合楽理念のマスター、よって自分の心の上に、問題が問題とせんですむようなおかげを、豊かに大きく頂いていくところに、この徳はいやがうえにも大きく育って行くことになるのです。
おかげが分かって有り難い。信心が分かって有り難い。教えがいよいよ血に肉になって、私の周囲には、問題が問題でないようなおかげを受けておるということに、これを極めていくということは、お互い生涯をかけての事でございましょうけれども、信心すれば、誰でもお徳が受けられる、というのはね、おかげの喜びから、信心の喜びが分かるようになるから、誰でもお徳が受けられるのです。
ところが信心の喜びが分からずにね、何十年間、いうならば、神恩報謝の生活をしておると云うても、それではいわば、徳積みて栄える家や、ということになってこない。どうでも信心が分からないけん。信心の有り難さが分からないけん。 もう本当に例えば苦い薬を飲むときには、やはり顔をしかめたいごたるけども、それがいよいよなら、身体を健全にしていくようにね、嫌な問題があるだろうけれども、その問題を問題とせんですむ、いうならば修行をさせて頂いて、いよいよ心が豊かに肥えていくおかげを、願わして頂いて初めて信心すれば誰でもお徳が受けられるということになるのじゃないでしょうか。
はああの人は生まれつき素直な、あの人は感謝の心が強い。それは教祖様がおっしゃるように、あの人は仏様のような人じゃ、神様のような人じゃと云うてもね、難儀な事が続いておる。どうした事であろうかと、世間ではいうような事があろうがと、信心しておかげを受けるのは別物じゃと、おっしゃる。信心しておかげを受けるということと。
信心してお徳を受ける、信心を血肉にしていくという生き方から、いうなら教祖様がおっしゃる誰でもお徳を受けることが出来るという。これがね、いうならば信心の位とでもいうのであろうかと思われるような、確かなものが自分の心に育ていくおかげ、そういう信心をいよいよ求めていきたい。 どうぞ